2014年8月12日火曜日

嗚呼、麗しのプラマーよ!ありがとう!!




Take your time.

                           C_TONOKI



テレビ番組も予定通りじゃないの?


「あれっ、おっかしいなぁ、今日ドラマのホワイト・カラーて7時半からだよね?」

「番組表にはそう書いてあるけどー」と妻。

そうこうしているうちに7時37分くらいから、お目当てのドラマが始まる。

「テレビ番組まで遅れるんかね…」とふたりで苦笑い。
どうもオーストラリアでは、「時間通り」の定義が私たち日本人と微妙に違うようだ。

妻に言わせれば、「約束したことは、なんとなーく…ちゃんと進んでいくんだよ」
なのだそうだ。



思い出したかのようにやってくる業者たち


確かにそうかもしれない。

アパートに入居し始めたころ、バスルームのドアが閉まらなかったり、
存在するすべての蛇口が閉まらなくてポタポタ水滴がうるさかったので
早速不動産屋に直してくれと言ったところ

1週間経って、そろそろ催促の連絡をしなければと思っていたころに
「明日ドアを直しに行くから」と修繕大工から連絡が来た。


おそらく日本でなら、リフォーム会社のコーディネーターが状況を確認しに来て
どのような職種が必要かを確認、その後、それぞれの職方に日程の調整をして
特に住んでいる家やアパートのリフォームは、住人に不便をかけるので
なるべく一日で済ませるように準備をする。

私も建築に関しては素人ではないので、1日でできるだろうとたかを括っていた。


翌日、若い修繕大工が来て、昼過ぎまでかけてドアの不具合を直してくれた。

「蛇口の漏れは、見てくれないの?」

こちらのシステムのことは全く分からないので尋ねると

「僕は、Repair carpenterだから、水道のことは不動産屋に聴いてみてね!」

と言われ、彼はドアを削った鉋屑だらけのバスルームを、掃き掃除だけして帰って行った。
残りを綺麗にするのに30分かかった。


やっと直してくれると思いきや…

その後不動産屋に蛇口の漏れのことを聴いてみようと思っていたころに
プラマー(水道屋)から連絡があった。

三日後に来てくれるとのこと。
安心して、その日を待った。

アポの日当日。
大柄な男のプラマーがツールボックス片手にやってきた。

昼前にやってきて、何処が漏っているのか見せてくれというので
台所、バスルームの洗面、バスタブの蛇口へ連れていく。

は~これでやっと蛇口の水滴音に煩わされずに済むな、と思って
リビングで自分の作業をしていたところ、ガッシャーンとバスタブにモノが落ちる音。

(なんだか粗いな)

大柄のプラマーがバスルームから出てきて、
道具を取りに行くからと部屋を出て行った。
その隙にバスルームを見に行くと…

水もお湯も止まらないらしく、水栓ハンドルが外されたまま、あちらこちらに
プラマーの汚い足跡と油を触った手でバスタブには黒い手形がついている。
結局この日は、水栓自体に問題があるということで後日取替えることになった。

もちろん足跡もバスタブの手形もそのまま。
プラマーが帰ってから綺麗にするのに30分かかった。




別のプラマー君がやってくるも…

約一週間後、今度は、ブロンド短髪で細身男のプラマーがやってきた。
朝の7時半。こちらの建設業者の「朝一番」はこの時間らしい。

「すみませんが、トイレ借ります」

開口一番、朝一の大仕事は、「大便」か!?(食事中の方、申し訳ありません)
普通リフォームの現場では、お客様に遠慮して事前に済ませてくる。

もちろん心の広いジェントルマンなので、「どうぞ」と言ったが、ちょっと不安がよぎる。
朝一番の「大仕事」が終わると作業にとりかかるが、30分もしないうちに
道具を取りに部屋を出ると言う。セキュリティキーは信頼できないので渡さなかった。

アパートは3階で、セキュリティキーがなければ、外には門があって建物の中に入れない。
キーがない場合、呼び鈴を鳴らしてもらい、こちらでロック解除してあげればよい。
建物の外に道具を取りに行くのはせいぜい1、2回位だろうと思っていた。

私も現場勤務の頃、アパートのリフォームでは、
モノを取りに行く回数を最小限にすることが効率よい仕事をするための
必要条件だとすぐに学んだ。

しかし、このプラマーときたら、10分ぐらい現場で仕事すると、すぐ外へ出て、
また建物に入るために呼び鈴を鳴らす。

5分現場、10分外。10分現場、20分外。現場と外の割合は、どう考えても1:2。
外のほうが多い。一度は、30分ぐらい出たっきりで帰って来ないので、
何か事故にでもあったのかと心配になったくらいである。

バスルームのなかは、大変なことになっていた。
バスタブのある外壁に面した水栓がタイルとともに取り除かれ
構造のブロックがむき出しに削られている。
水栓金具だけではなく、配管自体が古くてうまく水が止まらなかったらしい。

「剥がしたタイルは、タイル屋さんがあとで来るのかい?」

おそるおそるプラマーに聴いてみる。

「いや、6枚くらいだから、僕が張り替えて、完璧に戻して帰るつもりだよ!」

この答えを聴いた時には、もう午後2時半を過ぎていた。

(無理でしょ!)

今日一日で終わるはずがない…心のなかでため息をつきながら、リビングへ戻った。

暫くして、午後3時を過ぎる頃、案の定彼がやってきて、あと2件今日中に行かなければ
ならない仕事があるので、また別の日に来させてくれとのこと。
週末だったので、次の予定日は、週明けの火曜日になった。




プラマー君再び来たる!


待ちに待った火曜日。直し始めてから既に2週間が過ぎている。
午前7時半に例のブラマーボーイが呼び鈴を鳴らす。
部屋に来て、開口一番、恒例の「大・仕事」がしたいと。

(またか!?)

今日で終わるはずだからと、仕方なくOKと言った。
そしてまた現場→車→現場→車→現場のループが始まったのだが、ラストスパートがすごかった。
バスタブのタイルを張り替え、水栓を取り付けると、次に洗面のハンドルを取替え、
最後に台所のパッキンを取替えてくれた。昼過ぎにすべて完了。

なんとか終わってホッとした。

あとから知り合いに聴いた話では、プラマーに修理をお願いしたら
バスタブをはずされて、挙句の果てに元通りに戻せないと手を上げられたらしいから
それに比べたら、まずまずといったところだろうか。

自分でカネを出すなら文句を言いたいところだが、不動産屋の修理だから
まぁこんなものかと諦めた。


正直、タイルを壊す音や、何十回も呼び鈴を鳴らされるのもうんざりしていたので
蛇口の水滴の音などどうでもよくなっていた。

会社から帰ってきて妻に一部始終を話した後
水滴音のない、久しぶりの静けさのなかでベッドについた。
ウトウトとし始めたころ・・・

ジュルル!

と今まで聞いたことがない音がバスルーム方面からしてくる。
ん?まさかと思いドアを開けて、バスタブと洗面の水栓を眺めてみる。
前のようにポタ、ポタと漏っている形跡はない。
気のせいかと思い、ベッドに戻ろうとしたその瞬間!!

ジュル!

まさに取替えたばかりの洗面の蛇口から
今度は、大粒の水が徐々に耐え切れなくなって漏れてくる音だった!?

なんと!「麗しの」プラマーは
蛇口から漏れる
水の音(ね)を
「ポタポタ」から「ジュルル」へと
見事に変えて
みせたのである!

OMG!!(オーマイゴッド!)

・・・




今では、ジュルルという水滴音も
プラマーが繰り出す騒音とストレスに比べれば
子守唄のように思えてくる。

このことがあってから、私たち夫婦は、多少のイレギュラーな出来事があっても
あまり驚かなくなった。

「まぁこんなものか…」と思ってなければ、やってられない。
あらためて日本の皆さんの「仕事キッチリ」ぶりに気づかされた。
何事もクレームばかり言ってないで、
普段当たり前と思っていることにもっと感謝しなければならない。


2014年8月8日金曜日

図書館に住んでいる「教授X」?


アパートのネット環境がなかなか整わないので安全なフリーWIFIが使える図書館通いが続いた。


ちょうど住まいから歩いて20分くらいのところにあるので午前中のあいだに家事を済ませ、
昼前に出かけて夕方まで図書館に入りびたり、
帰りがけにスーパーで夕飯の買い物をして買えるのが日課のようになっていた。

Stanton Libraryは、ノースシドニーのビジネス街からちょっと外れた所にある。
入口手前には、全体に芝生が敷き詰められた憩いの広場があり、
煉瓦タイルの歩道とその脇には装飾された噴水がある。



天気のいい日には、ベビーカーを引きながら若いお母さんたちが
小さい子どもたちと芝の上で戯れたり、昼になれば近くで働くビジネスマンたちが
それぞれランチボックスを手にやってくる。

図書館のなかは、日本とは違い飲み物、スナックなど袋入りの食べ物なら持ち込みOK。
書架のあいだには、ゆったりとしたスペースが設けられ、
そこここに学習スペースやイージーチェア、ソファなどが置かれている。

毎日開館しているので、休みの日を気にする必要もない。
いつ来ても年配の男女、学生らしき人たちでにぎわっている。




日本にいるときもたまに県立図書館に行っていたが、
学習室は別でなんだかガツガツとただひたすら勉強するスペースであるだけで、
飲食持ち込みも禁止、決してリラックスできる場所ではなかった。

こちらの図書館は、なんとなく照明も電球色で落ち着ている。
本がまわりにあって好きな時に好きなところで読書を楽しめるようになっている。
近くのカフェでカプチーノをテイクアウトして、それをすすりながら、ソファーで読書するのもよい。


窓際の席は景色が良くて居心地がいいのでいつも人気で空きがない。
たまにそこが空いていると席について、つい時間を忘れて
日が暮れるまで読書やネットサーフィン(またはブログ執筆)を楽しんでしまう。

窓際の席がないと、反対側の壁際に机が3台置いてあるスペースに行く。
そこは、書架から壁で仕切られたちょっとした袋小路になっていて、窓際より寒い。

どこにでも「常連」はいるものである。
そのちょっとした袋小路の奥に短髪白髪の気難しそうなオジサンがいる。
3台ある机のうちのひとつをラップトップ、プリンター、その他何だかわからないガジェットで
占領されているため、その机は誰も利用できない。

なぜ「オジサン」のなかにはこう性格が「濃い」人たちが多いのだろうか?

濃いオジサンで思い出すのは、10年前横浜に住んでいた時のことだ。

横浜そごうのエスカレーターののぼりに乗っていると、
下りのエスカレーターにやけにテカテカのポマードを塗りたぐった
オールバックで革ジャンのオジサンが降りてくるのが見えた。

彼の頭がはっきり見えるところまで近づいてギョッとした。
オールバックは手作りの”かつら”だったのである!
しかも張り子のように紙を張りつけたカツラ!

張りぼてのかつらに黒ペンキが塗ってあったので、
それがポマードのようにテカテカしていたのである。

「今のオジサン見た?」

「あれ自毛じゃなかったよね」と妻。

「紙でつくったのは、あのリーゼント型をやりたかったから?」

「さぁーー…」

あのテカリ具合なら、堂々と自分の禿げ頭を見せたほうが
まわりの人の目に優しいのでは?と思うのだが、
デパートに装着して行くぐらいだから、お気に入りの”ハリボテ”カツラなのだろう。

一回見れば決して忘れないが、
私たち夫婦は2回も彼を目撃するという幸運に恵まれたのである・・・




さて、Stanton Libraryの名物オジサンは、もちろん「張りぼてかつら」はかぶっていないが・・・
going-my-wayという意味では、同じくらい変わっている。

いつもでっかいヘッドフォン(80年代の耳を覆う半卵型の)をしていて、
机の上はガジェットと資料の山で占領され何かを研究しているのか、
物書きのようにも見える。

もし教授だとしたら、生徒たちにエッセイのヘッダーの位置や余白、段落の間隔まで
ミリ単位で指定して、少しでも間違えると「F」をつけて突き返すような人だろう。

彼の近くに行くと、老眼鏡越しにジロッと睨まれるので、
なるべく近づきたくないのだが、なぜか彼の机のちょうど前が最後まで空いているのである。

ある時、他の席がいっぱいで仕方なく彼の前の机に座らなければならない時があった。

席についてなぜそこが不人気なのかがすぐわかった!
机の下にはそれぞれ電源があり、それぞれの人が使えるぐらいのコンセントが設置してある。
そのコンセントがすべてその「教授」に占領されている。

しかも自前の3股コンセントをつけて自分のPCやプリンター、
オーディオ?以外に単三充電池を大量に充電しているではないか!?

(おいおい!電源あるんだから、ここは充電するとこじゃないでしょ!)

と心の中でツッコミを入れながら、こっちも電源がなければ仕事にならない。
黙っては引き下がれないと思い、オジサン1年生の闘志を燃やして「教授」に言った。

「コンセントを一つ使えませんか?」

充電用のコンセントひとつぐらいは譲ってくれるだろうと思っていると
黒縁メガネの奥からジロッと私をみて

「向こうにあるじゃろ?」

教授が顎をしゃくりあげる側をみると確かに
机を挟んで向こう側にコンセントが空いている。

(なんだコイツ…お前はここの住人か!?)

とまた心の中でツッコミをいれながら、
愛想笑いをしてすごすごと向こうの電源を拝借した。
数分が経ち、自分のPCでネット検索やメールチェックなどをしていたら
後ろの「教授デスク」から急にガガ、キーンという機械音がするではないか!?

何の音かと思いきや、プリンターが印刷をしている音である。
昔のカーボンテープで印刷するようなキリキリキリというデカい音を立てて
何枚も印刷している。
しかも遅い(汗)

印刷の音がうるさくて自分の作業に集中できない。

(ははーん、これがこの席が空いている理由なんだな…)

教授はデカいヘッドフォンをしながら、
(うるさい機械音の替わりにクラシックを聴いてるのか?)まわりを気にすることなく
ご機嫌で印刷作業をしている。

(やっぱり売れない作家か!)

それ以来、「教授Xのデスク」には近づかないようにしている。


2014年8月1日金曜日

海外に暮らせば英語が上手に話せるようになるか?


オーストラリアに行けば、英語が話せるようになるのか?
そんなことはない。

住む場所が決まり、異国での暮らしが流れ始めると
ひとつの壁にぶち当たる。

そう、人と話さなくても暮らしが成り立ってしまう。


こちらで仕事をしていれば別だが、とくに主夫の私は学校が始まらない限り
食事の用意と家事全般が仕事。スーパーへ買い物に行くか、日用品の買い出し、
生活に必要な最低限の会話程度しか英語を使わない。
更に悪いことに、今のネット社会では、面と向かって人と会話する機会を探すほうが難しい。


オーストラリアの某銀行のCMにこんなのがある。

あるオジサンの一日が目覚ましの「オキテクダサイ」から始まる。

電車の自動チケット売り場から乾いた電子の声
会社のエレベーターから「ツキマシタ ヨイイチニチヲ」と言われ
家路につく途中のゲーセンの前で、ネオンと電子音だけが鳴り響く光景に

ただ茫然と立ち尽くし黄昏るオジサン。

そして、最後に立ち寄った某銀行の場面。

中に入るとすかさず「リアルな」男性がでてきて「May I help you?」と言う。

主人公のオジサンは、やっと人に会えたという
喜びを抑えきれなくなっていきなりその店員に抱き付く!!

主人公が私と同じオジサンだから?と言うわけではないが、
なんだか現代のネット社会のリアリティを皮肉っていて
面白いなと思うし、共感しながら見ていた。




40代なら携帯のない一昔前、友達と連絡を取り合うのも一苦労だったのを覚えているだろう。

固定電話にかければ必ず相手のご両親が電話に出る。
見ず知らずの人に自分は何者かを正直に伝えなければ
当の本人には繋いでくれない。

ましてや異性の場合、変な虫がつかないようにとセキュリティレベルが
かなり上がるので、それをクリアするのも至難の技だった。

それが今では、メールかLINEなどのSNSで済んでしまう。
急病で会社を休む場合なども
相手の反応をいちいち気にしなくてよいからと
重要な報告をメールで済ましてしまう。

ただでさえ忙しい上司を電話で邪魔してはいけないという思いもあるだろう。
メールで報告すれば、文章で残るから、重要な内容はメールのほうが
保存がきくという利点があることはもちろん認める。

ただ、仕事を辞めるとか、彼女に別れを告げるのまでデジタル世界だけで
済ませてしまうことには、違和感を感じざるをえない。



シドニーでの暮らしが落ち着いてくれば、人と交わる機会、
英語を使う機会が減っていくことは、実は最初から想定していた。

なぜなら、はるか昔(25年前)私が高校留学でアメリカのオハイオ州シンシナティへ行ったとき
同じようなジレンマに遭遇したからだ。

ホストファミリーの家から近くのハイスクールへ通っていたのだが、
2か月くらい経つと何もかも珍しかった事が
日本と変わらないような日常に変化する。

最初は授業についていくのに精いっぱいで英和と和英辞書を抱えて
(電子辞書などなかったなんて考えられない!?)
必死で宿題をやっていたのが、
ある程度余裕がでてくると、ハタと例えようもない孤独感に襲われる。

家とハイスクールを往復するだけで、まわりの生徒から声をかけられることもなく、
学校での出来事があまりにも平凡すぎて、ホストファミリーに話すネタもなくなり、
学校から帰ると宿題を理由に自分の部屋に引きこもるようになった。

「チカラ、どうして自分の部屋にばかりいるの?
アヤ(前ホストした日本人留学生)は、よく友達と出かけたりしてたわよ!」

ホストマザーの見透かされたような一言で
胸に溜まっていたものがドバっと大粒の涙になって流れてきた。

「だ、だって、誰も誘ってくれないんだ…僕だって努力してるんだ…」

当時16歳の「さわやかボーイ」の私は、唇を震わせながら大泣きしていた。

25年後の今思えば、なにもここまで大泣きしなくてもよかっただろうにと思うが
夢いっぱい順風満帆で留学したのはいいが、
異国の地で思う通りになかなか溶け込めないという
おおきな挫折感を初めて味わい、この挫折感が反動で
かなりのホームシックにかかっていたのが相まって悔し泣きと寂し泣きを一度にしたのだろう



大泣きした私をビックママ(実際に大柄な人だった)は
ギュッと抱きしめてなだめながら言った。

「それであなたはどんなことをトライしたの?」

「私に話してくれたように、まわりの生徒や先生やtutorに自分の気持ちを伝えたの?」

この彼女の助言で一気に自分の世界が広がった。
化学の先生の紹介でミュージカルに入れてもらったり、
グリークラブに入ったり、サッカーをしたり、社会奉仕活動に行ったり、
先生の奥さんの小学校まで行って、折り紙を教えたり。

そうこうしてるうちに友達がたくさんできて、
週末にはホストファミリーと過ごす時間がなくなるくらい友達から誘いがくるようになっていた。

一年経って帰国したときには、モノが落ちそうなときに「oops!」と
言ってしまうくらいアメリカナイズされていたのである。


  Participant Observationという言葉をご存じだろうか。
人類学者や社会学者がフィールドワークをする時に
実際にその文化・社会に積極的にかかわることで一員となり、
そのグループの人びとのコトバや考え方を学び、
そして観察することで比較研究するという手法なのだが、

私が高校留学で体験したのは、まさにこれのこと。

もちろん観察者としてのトレーニングは積んでいないので、学者のそれとは違うが
異なる社会や文化の神髄までもぐりこむというエッセンスにはかわりない。

英語が話せるようになるとか、英語がわかるようになるというのは結果論である。
オーストラリアという社会のなかに飛び込んで、どっぷりとつかることができるかできないかが、
その地域のコトバを習得できるかできないかの境目となる。

異国の地で、使い慣れた日本語が話せる日本人同士でかたまるのは、
気が楽で心地よいが、英語を学びたければ、
その国の歴史や文化、社会を積極的に学ぶべきである。

25年前のように、今回はまわりのせいにしたりはしない。
オーストラリアにどっぷり浸かるにはどうしたらいいか?
そして、おカネを使わずに社会に入り込むにはどうしたらいいか?
ここは腕の見せ所である。

悠長に向こうからチャンスがやってこないかと待っているほど
オジサン人生は、長くはない。

CMの主人公ではないが
とにかく人のいる場所なら何処にでも出かけて
しがみついて離さないだけである。

英語を話せるように「成る」ではなく、話せるように(自分でコントロール)「する」のである。
Be hungry!
Be foolish!